私はなぜ、ニノ落ちではなかったのか

私はニノのファンになるほうが自然です。

そう自分でも思います。

これについては下記の記事でお願いします。

それでも1番は翔くん。

これはなぜなのか、考えてみます。

私が自分で思うに、「翔くん」には一目惚れでした。

いわゆる顔ファンからスタートしました。

顔ファンを抜けたのは、どこだったのか。

どん、と突き落とされたのは、知人から借りた「君と僕の見ている風景」を観たこと。これだと思います。

いまだに、私の中で不動の1位であるDVDです。

その中の「むかえに行くよ」。

私はこの曲を歌う翔くんに落とされました。

この声を聴くまで、私の中の「櫻井翔」はカッコいい、頭がいい、しかも物腰が柔らかいといったイメージでした。
(今考えると、違うと思う部分もあるのですが)

まあとにかく、そんな完璧な男だったわけです。

でもこの声を聴いたときに、生意気を承知で書きますが、櫻井翔の内側を見た気がしたのです。

うまく伝えられている気はさらさらしないのですが、そういうことです。
そんな衝撃の直後に、曲中で「いつかどこかで思い出すはず ここにいるすべての意味を」。

涙が止まらない。初めての経験でした。

このコンサートで歌われた「むかえに行くよ」が、私の櫻井翔ファンの原点なのです。

このDVDを観るまで、私にとって「アイドル櫻井翔」というのは、娯楽の範囲でした。

カッコいい人を見て幸せな気持ちになる、バラエティ番組を観て思いっきり笑う。そんな娯楽でした。

表面的に「櫻井翔」が好きだったのだと思います。

だからその時期に買った雑誌は、ビジュアルに重きを置いて選んでいました。

ただ、「櫻井翔」から櫻井翔になってから買ったのは、インタビューの文面重視に移行されています。
(いや、今だってビジュアル重視なこともあるけれども)

なんといったらいいのでしょうか。

「櫻井翔」というのは私の中でジャニーズ、アイドルとして。

櫻井翔というのは人として。

好きなのだと思います。

これほどまでに人を好きになったことは、これまでも、そしてこれからも彼1人だと、そう思っています。