『オトノハ Vol.182 2019所信表明2』に寄せて
霧がかって見える人にではなく、”靄の中にかすんで見える人”にでもなく、”瞳に捉えられる人”に。
翔くんがファンの動向を窺っていることは、ファンにはよく知られている話だ。
言葉から、行動から、伝わってきていた。
だけど今回、ここまで直接、かつ綴ってくれた。
知ってくれていると「感じ取れる」こと
知っていると「伝えてくれる」こと
ほとんどの場合において、どちらも大差はない。
どちらにしてもファン界隈の様子を「知ってくれている」という状況を、こちらが「知っている」ことに変わりはない。
だけれども、だれかの見据える未来と今を、ともに歩いている人にとっては大きな違いだ。
少なくとも私にとっては、「伝えてくれる」ことは、とても大きな意味を持つ。
翔くんはやはり推敲し、納得のいったものを提示してくれる。
あるときは文字で、あるときは声で。
もっとも櫻井翔のファンでいることに幸せを感じることかもしれない。
その言葉たちを、あるときは優しく手繰り寄せて、大切に瓶に詰めて眺めたくなる。
またあるときは、思考の波にさらわれ、飲み込まれる。
あまりに飲み込まれすぎると、ずっしりとした錘をそっと乗せられる。
でもそれが、不思議とつらい、しんどいと感じることはない。
彼のいわば分身から受け取ったものだからかもしれない。
2019櫻井翔の所信表明。
霧がかって見える人にではなく、”靄の中にかすんで見える人”にでもなく、”瞳に捉えられる人”に向けられる言葉。
昨年までとはまた少し違った1年になる予感。