「嵐は嵐5人のものである」その周りにいるファンとしての今日

嵐 活動休止

5文字を見た瞬間、ただの文字にしか見えなかった。

言葉の意味がわからなかった。

何事にも絶対なんてない。

だけれども、絶対嵐は続いていく。

降りる景色も絶対一緒に見るんだ。

そう思っていた。

震える手でFC動画をクリックした。

何も考えられない。嵐が「untitled」でかっこよく「未完」を披露していたこと、15周年のハワイで心から幸せそうに笑っていたこと、「全力で逃げ切るよ」と言ったZERO特番のこと、10周年の頃やめようと思っていたんだよと明かしてくれた智くんのこと。

そして嵐5人の笑顔。

それが一瞬にして脳内を駆け抜けた。

1人1人が話していくのが流れる。

涙も流れる。

 

2020年12月31日、嵐が「おわりの日」を迎える。

言葉としてなんとか頑張って理解できたのは、その部分だけ。

止まらない涙。

ああ、もう彼らのシングルを、アルバムを、ライブを、テレビを、雑誌を、ラジオを楽しみに思うことは、おわりの日までしか許されない。

いや、おわりの日までではない。

もう、この瞬間から、おわりが言い渡された今から、次は何かなと思い続けられると信じることも許されない。

 

嵐が嵐として、彼らがいてくれるだけでいい。

私が常に思い続けてきたことだ。

だからこそ、「なんで」という思いはあったし、「嫌だ」という思いもあったけれど、「許せない」と思うことはなかった。

それは、「5人でいる彼らをファンとして見守り、大切に思う」という、前提があったから。

嵐は嵐1人1人のものであって、ファンのものではないと思うから。

 

2回目を再生した。

嵐としての活動を一度たたむ。

それが「嵐」として出した答え。

だけれども、1人1人としては、違うように思えた。

いや、思いたかったのかもしれない。

この先のことも考えて、長く走っていく中で、一旦たたむ。

というニュアンスを動画からは感じた。

 

一点、気になった点がある。

FC動画と、その下の文章から違った雰囲気が感じ取れた。

文章は、活動再開の可能性がないと言っているような感じ。

いわば、おわりの日に向けてのメッセージ。

動画は、一度たたんで、違う世界を見て、また再開しようと思っているという感じ。

おわりの日の先へのメッセージ。

そう思いたい、ファンとしての気持ちがそう感じさせたのかもしれない。

 

今、5人は都内で記者会見をしている。

思い出されるのは、すばるくんの会見。

もう彼らはその頃から、頭に浮かべていた。

どんな思いで、見ていたのだろう。

いずれにせよ、彼らが今日まで感じ取らせないようにしてくれたこと、

そしてツアーの申込みがはじまる前日に報告してくれたこと。

今日の目撃者になれた私は、ファンとして幸せだ。

嬉しいときも、悲しいときも、ファンでいさせてくれてありがとう。

不思議なもので、こんなことがあっても、嵐から離れたい、見たくないという思いは湧いてこなかった。

彼らの見る未来がどんなものであったとしても、ファンとしてその景色を見たいと思う。