なぜだか映像で見るよりも何倍も思い起こされる記憶。
現地に赴き、話を聞き、それを伝えることはひょっとしたらできないことではないのかもしれない。
だけどその目の前の人に心を寄せ、時に背負い過ぎではと思うほどに思うことは当たり前のように誰もができることではない。
その場限り、表面だけではなく傾聴する姿勢にファンとしては不安になることも正直ある。
抱え込みすぎていないか、それで押し潰されてしまわないか。
だけど、それだけ寄り添うことでしか伝えられないこともあるのはわかっている。
強さを持っている人だということは知っている。
だけど、それは脆さや弱さに鈍いゆえの強さではない。
櫻井翔が報道に携わっていたい、伝えたいと思うのであれば、どれだけの苦しさを受け取ったとしてもその姿を目に写し、伝えようとしている想いを受け取りたい。