タイトルがこれでは「担降りをしたいんだけど、できない人」のような感じになっていますが、担降りの予定はありません。
私はこれまでの4年と少しの間、いわゆる担降りというものをしたことがありません。ではなぜ、実体験もないのに書くのか。
私はジャニーズファンのブログを読むことが好きなわけですが、たいていのブログで一度はこの、「担降り」について書かれています。
ファンの心変わり、なぜ担降りに抵抗があるのかなど、なるほどなと思うものがたくさん書かれています。
ここ2年ほど、自分が読んでいたブログが担降りのために閉鎖されてきました。
あんなに大好きといっていた人が……。
どこか穴が開いたかのような気持ちを持つことばかりで、移行先のブログも読まずにきました。
その気持ちはなぜなのか。
考えてみたものの、結論がでません。
なので担降りについて書かれている記事を、読んで回りました。
ただ、読んだものは、担降りができなくて苦しい思いをしている人や、複数の担当がいる方のもので、「担当は1人、しかも担降りの予定なし」の私のような人向けではなかったのです。
ないのであれば仕方がない、と自分で考えてみたら、ようやく若干ではありますが、わかりはじめたような気がするので、まとめてみます。
とはいえ、冒頭でも書いたとおり、担降りをしたことがありませんので、想像でしかありません。ですので、そのあたりはご理解ください。
まず、私の中で担降りは怖いもの、という位置づけです。
では、なぜ担降りが怖いと思うのか。
私の中では3つの理由からです。
現実味のなさ
「櫻井翔」を通さない世界は色がないものになる。
色のない世界の現実味のなさ。
私はかなりの影響を櫻井翔から受けています。
自分の一部になるほどですので、自分が自分じゃなくなるといった表現が適切なのかもしれません。
罪悪感
もちろん私がファンであろうがなかろうが、本人への影響はないし、届くことがないということはわかっています。
たとえば、私に付き合っている人がいるとして、その人が「櫻井くんのファンはやめてほしい」といってきたら、私は迷うことなく、その恋人との別れを選びます。
どれだけその人のことが好きだったとしても、別れてほしいといいます。
「櫻井翔」への否定が自分への否定のようなものなのでしょうか。
だからといって否定してきた人を陥れようとか、そんなことは考えませんけどね。
ものさし
これに関しては、想像のさらに想像。
自分が別のジャニーズのファンになったら、どう思うのかです。
まず、新規で好きになった人を、その人だけでまっすぐに評価することはできないと思います。
どの場面でも「翔くんなら~」と、まず翔くんを通してみるでしょう。
これでは未練がましい恋人のようですが、対アイドルになったときの、ものさしは「翔くん」なのです。
私が担降りできない理由
私にとって、「櫻井翔」はフィルターのようなものであり、ものさしであることがわかります。
そのことが、私に担降りをできないようにさせている要素です。
ただ「櫻井翔を通さない世界」が、怖いだけのような気もしますけどね。
担降りをした人の移行先のブログを見ないのも、フィルターを失った人のところだから、惹かれるものがなくなった、ということなのでしょう。
記事にするのに文章を書いていて、どんどんと自分の中で繋がっていきました。
こうして書いていくと、私が担降りをできないと思う理由は、あまりにも単純だということが見えてきます。
それほどまでに単純なことにも気がつかないくらい、ある意味では依存をしているのかもしれません。
わかったところで私はこれまでと変わらず、「櫻井翔」に愛を叫ぶ日々が続くんですけど。
もうなんだか、わけのわからないものになってしまいましたが、深く考える機会になって個人としては、とても満足しております。
この記事については、あくまでも私が担降りをしない理由であって、いまさら感がすごいですが、担降りをすることが悪いとは思っていないことは、ここに書いておきます。