先日、ARASHI AROUND ASIA 2008 in TOKYOとアラフェス’13に収録されているHip Pop Boogieを発売順に観ていました
連続して翔くんのソロの部分だけを観ていて、「2013年の翔くんには似合わないな」と感じました。
そうなると、なぜ私がそう感じたのか、その理由が気になりはじめます。
ということで、独断と偏見に満ちた分析をしていきます。
こんなゆっくりでいいなんて 〜 その先たとえ果てていたとしても
2013年の翔くんが歌うHip Pop Boogieは、穏やかです。
コンサートで歌っている時間や空間を楽しんでいることには変わりないのですが、2008年の翔くんは100%の確信を持ち合わせて立っているわけではないのだな、という印象を持ちました。
歌詞を書いてそれほど間がないのもあるのでしょうけど、2008年のほうが歌詞に忠実です。
「こんな景色まで見られるなんて」の部分で自分の周りの景色を見回したり。
歌詞の持つメッセージと翔くんの伝えたいことがぴったりとはまっているのは、2008年です。
What’s going on? 〜 なんて僕らは見たくないんだい
曲の中でもひときわ目立つこの歌詞。
世間を敵に回しても不思議ではない言葉が並んでいます。
2008年は、そんなんでいいのかよという「挑発」子供が「あんな大人にはなりたくないよね」というのに近いかと。
2013年は、どう思うかという「問いかけ」曲を聴いた人に「あなたはどう感じましたか」と意見を求めるような姿勢です。
まいてた種たち咲いてく
2008年は、そういいながらも80%くらいの自信でその言葉を選んだんじゃないかな、と思うのです。
2013年は、そんな2008年の彼に伝えるかのようです。
「本当に咲いたよ」という、報告のよう。
俺なら俺らなら きっと時代は手の中に
こちらも同様、80%が90%くらいには近づいたようです。
2008年は、自分に言い聞かせて。2013年はファンに向けて。
「きっと」という表現がありますが、2008年は「夢の夢」のような真っ暗闇の手探りでのきっと。
2013年は「夢」としてのきっと。
俺らならいける気がする、と見通しが立ちはじめたかんじ。
まとめ
私は、翔くん自身の変化によって、似合わなくなったと感じたのでしょう。
最初の2つの歌詞は、Hip Pop Boogie Chapter Ⅱでの歌詞の更新があった部分でした。
翔くんは伝えたいことと合わなくなったと感じて、言葉を変えたのかもしれません。
こうやって一曲で歌っている人の変化も感じられるなんて、とても幸せなことです。
翔くんの基本的な考え方は変わっていないのだけれども、新しい世界を知って、時間が経って変化していく。
そしてそれを伝えてくれる翔くん。
2008年あたりは、気持ちが追いつかないときもあるほどに、長距離を50m走のスピードで駆け抜けていたのが、2013年あたりには、長距離をそこそこ速い人のペースで走り続けるように変わったような気がします。
そんなところも変化に関わっているのかなと。
ここまでいろいろと考えてきましたし、書いてきました。
要するに、きのうまでよりも翔くんのことが好きになったっていうことです。