「(前略)結果が出ないと”なんでそんな無駄なことしたの”って言われるだろうからね。まあ無駄じゃないんだけどね」
ARASHI’s Diary -Voyage- #21 JUN’s Diary
ファンはほとんどの場面において味方であり内野であるけど、時として道を阻むものにもなるのだろう。
「やってみなきゃわからないじゃん。ほらできた」って潤くんが言っていたのとニュアンスは同じ。
変化していくことを恐れて前に進もうとする足を止めようとしてしまうことにおいて。
世界進出で英語詞の曲をデジタル配信している最中にもあった、「こういうのが見たいんじゃない、結局嵐はファンの方を向いていなかったんだ」という意見。
おそらくTurning UpのPVの伏線を回収するように予定していたアメリカでのライブができていたら、こういう声はなかったまではいかなくても、そこはかとなく漂う意見にはならないくらいの規模だったんだと思う。
もしかしたらVoyageがなかったら、解釈違いのまま過ごして休止に入ってからそれが理由で離れる人もいたかもしれない。
5×20でありったけの感謝を、アラフェスでファンとのお祭りを、北京・アメリカ・This is 嵐で今まで通り挑戦し「現時点では今が最高」を更新し続ける嵐を。
全体を見渡せばこれまでと変わらず一貫した姿勢の嵐が目に映るけど、ポイントだけで見るとそうは見えないのかもしれない。
私は攻撃は最大の防御を体現する「挑戦し続ける嵐」が好きだから、最高の形だと思っているけど、活動休止のラインが決まっているのだからもっとファンの方を見てほしい、なぜ今世界に目を向けるんだという気持ちもわからないでもない。
充分すぎるほど見てくれているし、嵐の想いを受け取っているから、そういう気持ちがあることも理解はできるという意味でだけど。
私自身は日本語の持つ柔らかさ、曖昧さゆえの幅が好きだから(あと英語力もあんまりあれだから)日本語詞が好きだけど、だからといって英語詞の嵐の楽曲が嫌いなわけじゃない。
嵐が放つ一手だから好きとか嫌いとかの次元じゃない。
妄信的に何でもいいねいいねってなっているのではなくて、嵐が繰り出すものと何より嵐を信頼しているから。
冒頭の言葉を聞いたときにまず浮かんだのが、どれだけそう思ってないファンがいてもマイナスな意見の威力を弱めることの難しさ。
100人いたとして、99人がポジティブな意見でも、最後の1人がネガティブな意見を発したらどうしても後者が印象に残りやすい。
誰かと戦っているわけでも勝ち負けという枠でもないのだけれど、終わりなき戦いは休憩ポイントにすら辿り着いていないことを痛感した。
どうしたらそう思っていない人間がいることを伝えられるのだろう。
どうしたらネガティブな意見の威力を弱めることができるのだろうか。
どんな意見でも意見だから人によって賛否が分かれるのは承知の上。
だからこそネガティブな意見をなくそうとするのではなく、ポジティブな意見をより多く、密度を高く伝えていたい。