櫻井翔とブログと私

2016年、突然はじまったこのブログ。

1月1日だったらぴったりだったのに、なぜか3日からのスタートになりました。

思いを文章に

どうしても、嵐に対しての自分の気持ちを明確にしたかったから、はじめました。

文章にして人に見てもらう。

人に見てもらうからこそ、わかりやすい表現にしたい。

自分のこの気持ちに、ぴたりと狂いなくはまる言葉で書きたい。

そう思いました。

はじめてみると、それがどれだけ難しいことなのかということを、身をもって知りました。

4日に書いたこの記事は、なんども表現を変えて、考え尽くしました。

もともとは、私の取っていたメモをまとめて書いたものでした。メモにしているだけだったときは、それだけで満足していました。

でも、実際にそれを記事にするとなって打ち込んでプレビューを見ると、思っていたものとまったく違うものでした。

「違う、そういうことを思っているんじゃない」

これほどまでに、自分にとって櫻井翔とはということと向きあったことがなかったです。

文章に思いを乗せる

もともと文章を書くことは好きで、自信のあることでした。

それなのに、実際に書いてみたら、言葉をうまく使えていなかった。

自分の思いを言葉に乗せることができないことに、ショックすら受けました。

でも、なぜだか私の中で、「絶対に気持ちとぴたりとはまる文章を書く! 」そんな気持ちが生まれました。

だからこのブログを書いています。

まとめ

はじめた数日間は、嵐のことしか書いていなかったのですが、最近は「私のお話」というカテゴリーの内容が増えました。

嵐や翔くんのことを書くというのは、私にとっては自分と向きあうことです。

中途半端な記事は書きたくない。

だから、かなり考えて書くことになります。

ひとまずメモにまとめて、文字を打っていくことが終わったら、そこからは考えてばかりです。

声に出して読んだり、日記を読み返してみたり。

雑誌を見たり、曲を聴いたり。

けっして、遊んでいるわけではありません。

いろいろと行動に変えてみます。

ブログの記事は、書きたいと思ったときに書いたことが、1番伝わるものになると思っています。

だからこそ、その時間のうちに満足のいくものを書き上げたいのです。

どうしてもまとまらないときは、保留にしますが、ほとんどは書き上げます。

そうして、私の気持ちはこうなんですと大声で言える記事になります。

自分と向きあったものだから、誇りに思います。

自分の言葉で自分の思いを発信するって、難しいことですけどね。

このブログを書いているのは、自分の思いに向きあいたいからなのかなと、思っています。